【バンドマンのドラムすこ】

 新卒で勤めた会社を1年ちょっとで辞め何をしたかというと、学生時代から続けていたバンド。私がサラリーマンをしていた間も学生時代から続けていたバンドのメンバーは就職ではなくバイトをしながら音楽のみに情熱を燃やしていました。私はと言うと「迷惑をかけた親に安心してもらう為」と称して就職したものの、他責で主体性なく心身ともに辛い状況もあり長続きしませんでした。そこで少し考えました。至った結論は「誰かのせいにして中途半端にしてきた自分が一番悪い!」「自分のしたいことに熱意を持って取り組もう!」それでブチ切れる父の反対も聞かずに、燃え尽きるまでドラマーとしてバンドをやると決意しました。その頃の母の持ちネタは「うちの息子はバンドマンのドラムすこ。」でした(苦笑)。

 学生時代からお世話になっていたライブハウスとスタジオをやっているところに出戻りスタッフとしてアルバイトをさせて貰い、起きている間は音楽・バンド三昧。夜な夜なバイト終わりでメンバーが集まり、いつもリハーサルスタジオ代をケチって現役生が帰った後、出身大学の軽音楽部の部室をOBの顔で使わせていただき、警備員のおじさんに度々「何時だと思っているんだ!」と怒られ『もう帰ります』と言いながらも朝までこもり、曲づくりとリハとゲネプロ。たまにレコーディングをして、あちらこちらでライブしていました。

その頃は、愛車の日産セドリックに楽器を積み込み、財布の中が常に寂しかったので移動するにも1,000円ずつガソリンをいれたり(当時レギュラーガソリン100円/1ℓ以下だったような・・・)・・・出したい音の為に無理してローンを組み楽器を新調し、レコーディング代やCDプレス代に白目を剥き、一つ一つは高額ではなくても『塵も積もればなんとやら』で消耗品にも常にお金がかかったのでレギュラーのアルバイト以外に引越屋やガードマンなど単発のアルバイトにも沢山行っており、常に絵にかいたような金欠バンドマンでした。

それでも、我武者羅に自分のしたいことに打ち込むことができた努力を努力とも思わないとても充実した毎日は、私の人生に於いては何事にも代えがたく、自分の想いをカタチにする楽しさやメンバーと本気でぶつかり合いながらも無から有を生み出していく喜びを知った大切な時期だった・・・。と回顧しました。

 とはいえ、28歳でバンドに対する情熱が燃え尽きた後に周りを見渡すと学生時代の友人たちが概ね家庭を持ち社会的な立場を得てきている中で、未だ何者でもなく「ただの燃えカス」である自分に対する『焦り』でした。