父が亡くなったことの何が運が良いのか?介護事業に携わり多くを学ぶ中で【死】が自然の摂理の中でごく当たり前のモノと理解していたし、恐らく多くの人が肉親の死に感じたように私も悲しいと思い、喪失感もありました。一方で父の死によって自分自身に初めて生まれた実感としての死生観や大小気付きなど私の人生の一部として大きな意味を持ち前向きに作用していると言う意味で、必ずしも不吉なものではないと感じられたので、あえて「運が良い。」と言う表現にしました。
介護の勉強をすると「自立支援」「尊厳」と言うことがキーワードとして何かにつけよく言われ、介護を行う上でとても重要な要素の一つであると言うことを介護事業に携わる人であればほとんどの人が理解していると思います。その一方で、多くの現場では言葉だけが先行し“右向け右”でどこまで理解しているかと言うと、私自身も含め介護業界全体として大いに疑問があります。その言葉の意味を理解し、自分のこととしてとらえるには現代の生活環境や介護業界の実態ではとても難しいように思います。(この話は別の機会に・・・。)
介護は、加齢とともに徐々に自立の為の機能が失われていく方の支援をしながらいかに尊厳を守って行くか?と言うことが重要なわけですが、尊厳と一言で言っても、(例えば、私の父でも)夫婦として夫の尊厳、娘を持つ父としての尊厳、ついに最期まで息子には苦痛や恐怖など弱音を吐かなかった父が自ら守った尊厳など、最小単位で言うと夫婦や親子、兄弟、友達、介護者と要介護者などなど一対一の人のかかわりにはじまり無限(一人として同じものは無いと言う意味)の関係性があり、双方向の関係性に於いて個人と言うものが認知・尊重されそれぞれの個人の中にあるもとして尊厳が生れると思います。 つまり、その人にとって自分(相手)が何者であるかがとても大切であると言うことです。当たり前すぎることですが、実は知っていただけで実感として得心できていませんでした。しかし、父と息子の双方向の関係性の中で父の終末期に携わり、看取ることで当事者としてはじめてわかった?わかりはじめた?気付いた?ことが多くあり、私の中で死生観や介護・福祉に対する考えや想い、使命感が変わり、生まれてきました。 介護の基本的な学びと実践の上に、経験した肉親である父の終末期と看取り、死だからこそ、この気付きが生れ現在の起業の際の理念である『人と人とのつながり』を中心に物事を考えるに至ったのだと思います。この気付きこそが、悲しいと言う想いがありながらも『運が良い』と思えた所以です。