私の好きな本の一つに≪雨の日も晴れ男≫と言うエンタメ小説があります。この本の私なりの要旨の解釈はとてもシンプルに「神様は出来事を起こすことはできるが、それだけだ。」「それをどの様に捉えるかは、自分次第。」「出来事を肯定的に捉えることでプラスに転化することができる。」と言ったところ。(200頁ぐらいでとても読みやすいお勧めの本です。)この本の言う神様が(『たまたま』)起こした出来事による体験は否定的に捉えれば≪嫌な思い出≫として完結させてしまい自分自身の経験として拒否してしまうものかもしれませんが、同じ出来事でも肯定的に捉えれば、そこから得られる貴重な体験として経験値を得ることができ、教訓として根付かせ自分自身の人生の糧にでき得ると思います。(当然、死亡事故などあってはいけないこともありますが、残念ながら起こってしまった事実は変えられません。それであれば今後どうするべきか?どうあるべきか?とこれからのプラスに転化することがとても大切なことだと思います。)
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災のとき私は大学受験の為の浪人生活中で神戸市に住んでいましたが、自宅は一部損壊?半壊?程度で幸い家族には大禍がありませんでした。(大学は本命の滑り止めの滑り止めに行くことになりましたが・・・。)後日、震災の凄惨な状況や復興を記録した写真集などが多く出版されました。その中でも有名な?写真の一つに阪神高速道路が崩落し寸断する中で、観光バスがギリギリ落ちずに助かったところを捉えたものがあります。某宗教団体の信徒で私の小中学校の同級生とその大学の先輩が言うには、そのバスには彼らと同じ宗教団体に所属する熱心な信徒さんが乗っていたとのこと。そして「某宗教団体で信心を深め、お題目を唱え続ければこのような九死に一生を得るような奇跡も起こる。」とのことでした。 (その後、「なんでやねん!?」と思いつつ断り切れずに一緒にお題目を唱えた記憶があります。)
後日、母にその話をしたところ「へぇ~。凄いね。でも、私たち家族はその信心をしていなくてもそんな怖い思いもせずにすんだね。運が良いね。」と言われました。
『終了~』
その宗教が良いとか悪いとかではありません。他者や環境から影響を受けつつも、自分自身が出来事をどう言う位置や角度から見るか?どう捉え、どう結論付けるか?はその人次第で正解も不正解もないのだなぁと感心と言うか、得心した出来事ではありました。