人はそれぞれ自分自身の人生を生きていて、自覚していようがいまいが、それぞれ自分が主人公の物語を紡いでいます。そこで自らの人生を今なりに振り返ることで、良いことも黒歴史も自分を形成する大切な要素だと許容して、これからを構築していこうと考えました。
自称『ジェイソン・ステイサム』か『スタンリー・トゥッチ』みたいなナイスミドルと言いたいところですが、今やどこから見ても立派なおっさんの私は銀行員で神戸市出身の父と社内結婚した徳島県出身の母との間から1975年12月14日・奈良県生駒郡斑鳩町・法隆寺の近くで「おぎゃ」と誕生し、赤ちゃんだった時代を経由して、父の転勤で引越した尼崎の幼稚園では、(おそらく)かわいらしい幼少期を過ごしました。小学校に入る前に父の実家の近所に引越し、以降今に至るまで神戸市外に住民票を置いた経験がありません。
私が子供の頃は、テレビのチャンネル選択権は父にあるのは当たり前、「父が料理に手を付けるまで食事は待つ」「早朝、父が仕事に家を出る際は、妹(私は3歳下の妹と二人兄弟)と玄関で正座をして三つ指つき『行ってらっしゃいませ。』と送り出す」などの子への躾があり、仕事と接待と言う名の遊びに励む亭主関白の父と専業主婦で良妻賢母の両親のもと、まぁまぁ厳格(子供の頃は厳格ではなく理不尽とおもっていました笑)に育てられました。習い事(少林寺拳法、公文、習字、学習塾、ピアノなど)もさせて貰い金銭的に不自由した記憶はなく、色んな意味で恵まれた家庭だったと思います。
父の転勤の都合で尼崎に住んでいた幼稚園児だったころ頃、近所のお姉ちゃんにたまたま描いた絵を褒めてもらったのが切掛けで絵を描くことが好きになり子供の頃(小学生ぐらいまで?)はイラストレーターか漫画家になりたいと思っていました。(我ながらなんと単純な・・・。)
小・中学時代は、特に努力をしていたわけではないですが、勉強ができた友達が周りに多くいたお陰で、引っ張られて塾にも通わせてもらい何となく行きたい高校に進学できました。中・高校ではサッカー部に所属しましたが、高三の春に右中指を骨折したのを切掛けに中学生の時に友人宅で出会った音楽(ロック)にはまり、部活・学業をサボり、大学受験は大失敗。阪神淡路大震災が起こった直後の浪人受験も失敗し本命どころか滑り止めにも落ち、滑り止めの滑り止め大学に入学。と言って、「悔しい」と言う気持ちもそんなになかった様に思います。と言うのも、物心ついてからは自分自身が色んな意味で恵まれていることに一切気付かず、唯々身を置いた環境に流されながら何となく過ごしていて、目的意識や動機が明確な目標も無く、親に甘え・環境に甘え、無為無策に若さを無駄遣いして過ごしていた時代でもあったからだと思います。
あぁ「勿体ないなぁ。」と思いつつも「まぁ、それも経験か。」と無理やり肯定している今日この頃です。。。
こうやって振り返ると、文章にすると書ききれないほどの想いや出来事がよみがえってくるもので、普段思いもしない同級生や友人・知人も懐かしく、会いたいような会いたくないような、、、遠くから少し覗いてみたい気持ちになります。